Wednesday, April 22, 2009

朱印船 (しゅいんせん)


朱印船(しゅいんせん、red seal ships)は外国貿易(がいこくぼうえき、international trade)のふねでした。朱印船は多きなふねでした。サイズはたいてい500~750tでした。乗組員(のりくみいん、crew)はおおよそ200人でした。1592年から日本の商人(しょうにん、merchant)はあのふねを使いました。その時、外国貿易をしたら、朱印状(しゅいんじょう、red seal permit)がいりました。

あのふねはどこへ行きましたか。たいてい東南アジア(とうなん、Southeast Asia)へ行きました。アユタヤ(タイ)やマニラ(フィリピン)やホイアン(ベトナム)やカンボジアや台湾(たいわん)などへ行きました。


あのふねは何を持っていましたか。外国に銀(ぎん、silver)や銅(あかがね、copper)や硫黄(いおう、sulfur)や日本の刀(かたな)や日本の手仕事(てしごと、handicraft)などを持ってきました。それから、日本に中国の絹(きぬ、silk)や東南アジアの品物(しなもの、goods)などを持ってきました。

あいにく、1635年に朱印船貿易を終わりました。江戸幕府は外国の影響(えいきょう、influence)を怖がるになりましたから(こわがる、to be scared)、1635年に朱印船貿易を終わって、1636年に鎖国(さこく、Edo policy of Japanese isolationism)の政策(せいさく、policy)をはじまりました。鎖国の時、日本人は日本を出たら、日本に帰ってはいけませんでした。外国人は日本に入ってはいけません。1854年まで日本は遠隔でした(えんかく、isolate (adj))。

Monday, April 13, 2009

鹿鳴館(ろくめいかん)


鹿鳴館は 明治時代(めいじ じだい)のとても有名な建物で そのとき日本の西欧化(せいおうか Westernization)の象徴(しょうちょう symbol)でした。その場所で 日本の官僚(かんりょう official)と外国外交官(がいこうかん diplomat)が パーテイーを しました、そして たくさん大切な政策(せいさく policy)を しました。鹿鳴館のなかに 「東京クラブ」が ありました。そのクラブで 英語しか はなすことができます。
鹿は英語でdeerで 鳴は英語でsingで 館は英語でmanor houseです。その名前の由来(ゆらい origin)は、中国の詩(し poetry)にあります。